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〔目次〕
■巻頭随筆
・海洋と地図
■特集 日本の海と地図
・「海図」−学校教育への利用拡大を目指して−
・領海・排他的経済水域・大陸棚と海図
・日本周辺の海底を巡る 加藤 茂
・日本は海底資源大国になれるか?
・カツオの回遊と海流・海底地形
・コラム 国際海峡
■地図楽
・読図のヒント]]III 海深が表されている地形図があった
・城と地図 河内千早城古絵図に見る城跡の姿 紙上千早城絵図展
・地図と私 旧版地形図による条里地割復原の試み
■文献紹介
・明治・大正・昭和 絵葉書地図コレクション
・日本列島、水をとったら?海の底にも山がある!海底地形
・中国地図測量史
■巡検・見学会・セミナー
・武蔵境「水の道、鉄の道を尋ねて…」巡検記
■資料室 2015年3月号〜2015年5月号
■防府市立国府中学校へ「特別顕彰(理事長賞)」贈呈
・(一財)地図情報センターからのお知らせ
・表紙解説
■付録
・世界の地図情報 2015/16 アジア・アフリカ編

地図情報 Vol.35 No.2 通巻134号 特集:日本の海と地図
〔表紙解説〕
陸中國釜石港之圖(海上保安庁所蔵)
 明治新政府は幕末期から日本沿岸の開港場や沿岸航路の水路測量に従事していた英国海軍測量艦に対し、日本の水路士官へ英国式水路測量、海図製図法についての技術支援を要請した。明治3年6月に英艦「シルビア号」と柳楢悦を測量主任とする測量艦「第一丁卯」は日・英合併で伊勢・志摩の南海測量に出測した。現地で海上測量実習を経たあと、瀬戸内海に入り日本独自で困難を極めた末に、塩飽諸島の測量原図を完成させた。この原図を照合・確認した英艦艦長はその出来栄えに即座に賞賛を与えたという。翌明治4年春から再び日・英合同による北海道沿岸測量に従事、英艦からの器材供与、技術支援を受けながら分担して各港湾の測量を進めた。東京への帰途、日本単独で宮古湾と釜石湾の測量を実施した。ここに至り英国式水路測量、海図製図法を習得したことによって明治4年9月に兵部省海軍部の一部局として小規模ながら水路局が誕生した。
 翌明治5年9月に前年の測量成果をもとに製図、銅版彫刻した海図第一号「陸中國釜石港之圖」、図積26×32cm(横長)を刊行、これが日本おける近代的な海図第一号として知られる歴史的な海図となった。
 図中記事に、測量は「春日」艦長海軍少佐柳楢悦他5名の測量士官と製図を担当した大後秀勝の姓名が記載、銅版彫刻は松田保信鐫と明記されている。
 この海図は釜石港の港内から湾口までを含む港泊図で、縮尺は記載せずに英国海里1マイルを2インチとして作図し、実際の縮尺は1:36,456である。港奥から少し南東に天測点があり天文観測によって緯度、経度を測定し、ここを原点として陸の測量が展開された。磁針差は4度10分とある。水深の単位は尋を使用し、当時は尋を6尺(1.818m)と定め、端数は尋の分数である。等深線は3尋と5尋が記号で描かれ、危険な洗岩、暗岩も記号で表示。底質はr(岩)、s(砂)、m(泥)が表示され、港奥の5尋付近に錨地の記号を記載。陸の地形は海から視認し得る山頂を中心にケバ式で山容を表現し、全体は英国様式に準じた銅版印刷海図である。釜石港が第一号海図として選ばれた理由について、『水路百年史』(1971年)は東京〜函館間の中間補給地点であり、同港が出鉄に成功し、製錬所建設の直前であったことなどを挙げている。また、本図の印刷以前に既に刊行された、英文表題、大日本海軍水路寮、松田保信鐫の記載がない異版の存在が確認されている。
(今井健三)



〔付録〕世界の地図情報2015/16 アジア・アフリカ編