Vol.42 No.1 No.161「地図で描く「札幌」」
〔表紙解説〕
北海道石狩州札幌地形見取図(表紙)、北海道鉄道一千哩記念(裏表紙)
北海道石狩州札幌地形見取図(表紙)、北海道鉄道一千哩記念(裏表紙)
○北海道石狩州札幌地形見取図(表紙)
船越長善 図、福穂堂 発行、明治6年3月(1873.3)刊行、33cm×48cm、」出典:北海道大学北方資料データベース
作者の船越長善(1830−81)は、岩手県出身の画家。明治初期に北海道に渡り、開拓使の役人として測量地図製作や記録担当を務めた。
明治2(1869)年、札幌に開拓使庁が設置され、明治4年頃は札幌の街を南北に交差した碁盤の目状とし、中央に東西(図は上が西)幅58間の防火帯「後志通」をつくった。当時の住居は周辺に豊富にあったササやカヤで建てられ、火事が多かったので、延焼を防ぐ目的だった。最初の街の範囲は現在の南1条から南4条まで、西は5丁目、東は3丁目とされる。
○北海道鉄道一千哩記念(裏表紙)
札幌区(大正5年刊行)、出典:北海道大学北方資料データベース
明治9(1876)年、後志通防火帯(線)の西3丁目と西4丁目に花が植えられ「大通花草園」と呼ばれ、明治14(1881)年「大通」に改称された(明治12年の説あり)。 写真奥の西7丁目には、屯田制を創設した黒田清隆(第2代総理大臣)の像が明治36(1903)年に、写真中央手前の西3丁目には屯田兵の父と呼ばれる永山武四郎の像が明治42(1909)年に建てられた。像は第二次世界大戦で供出命令が出され撤去されたが、現在、黒田像は西10丁目にホーレスケプロン像と並んで再建されている。大通防火帯は明治44(1911)年、公園設備が加えられ、「大通逍遙地(現大通公園)」となった。 (編集部)
船越長善 図、福穂堂 発行、明治6年3月(1873.3)刊行、33cm×48cm、」出典:北海道大学北方資料データベース
作者の船越長善(1830−81)は、岩手県出身の画家。明治初期に北海道に渡り、開拓使の役人として測量地図製作や記録担当を務めた。
明治2(1869)年、札幌に開拓使庁が設置され、明治4年頃は札幌の街を南北に交差した碁盤の目状とし、中央に東西(図は上が西)幅58間の防火帯「後志通」をつくった。当時の住居は周辺に豊富にあったササやカヤで建てられ、火事が多かったので、延焼を防ぐ目的だった。最初の街の範囲は現在の南1条から南4条まで、西は5丁目、東は3丁目とされる。
○北海道鉄道一千哩記念(裏表紙)
札幌区(大正5年刊行)、出典:北海道大学北方資料データベース
明治9(1876)年、後志通防火帯(線)の西3丁目と西4丁目に花が植えられ「大通花草園」と呼ばれ、明治14(1881)年「大通」に改称された(明治12年の説あり)。 写真奥の西7丁目には、屯田制を創設した黒田清隆(第2代総理大臣)の像が明治36(1903)年に、写真中央手前の西3丁目には屯田兵の父と呼ばれる永山武四郎の像が明治42(1909)年に建てられた。像は第二次世界大戦で供出命令が出され撤去されたが、現在、黒田像は西10丁目にホーレスケプロン像と並んで再建されている。大通防火帯は明治44(1911)年、公園設備が加えられ、「大通逍遙地(現大通公園)」となった。 (編集部)
付録:やんばる国立公園の地生態学図(制作:株式会社地域環境計画)