Vol.40 No.3 No.155「地図と博物館・図書館」
〔付録解説〕
「世界の舞台・ティセラ日本図」カレンダー
「世界の舞台・ティセラ日本図」カレンダー
上図は「ティシェイラ(ティセラ)日本図」と呼ばれる日本地図。1595年に刊行されたオルテリウス(オランダ、1527〜98)の世界地図帳「世界の舞台(Theatrum Orbis Terraum、写真左)」(1570年初版)の補巻第5巻に掲載された。
銅版印刷(手彩色)による当時の最新技術で印刷されている。
地名等は行基図によっているが、岸線はより正確で、鹿児島湾や有明海、佐渡島や五島列島も描かれるなど、行基図よりもよほど正確であった。
ただし東日本の海上に浮かぶ実在しない島々はイグナシオ・モレイラ(1538〜没年不詳)の日本図(原図は失われている)に描かれていたものと同様である。モレイラはポルトガル人の地理学者で、天正18(1590)年、イエズス会巡察師ヴァリニャーノとともに天正遣欧使節の日本帰国に同行して来日。2年間の日本滞在中、薩摩から京都の緯度測定を行い日蝕を観測した。1591年に豊臣秀吉に面会し、京都に集まっていた東日本の大名たちからも情報を得たとされる。
彼の残した日本図がイエズス会士の地図製作者ティシェイラ(1564頃〜1613)に渡り、それをオルテリウスが入手したのではないかと考えられる(モレイラの地図を基にクリストフォロス・ブランクスが印刷した現存する唯一の図(ヴァリニャーノの手稿に差し込むための試し刷り)は北九州の「ゼンリンミュージアム」に収蔵されている)。
上図を見ると関ヶ原の戦いの前で、江戸はなく、京都はMEACO(ミヤコ)と記され、各城下には城(西洋風ではあるが)の記号が描かれる。当時のオランダ語なので、Vを“ワ”と呼んだり(Vacasa=若狭、Ava=阿波)、Hを読まない(Hizu=伊豆)が、旧国地名なのでわかりやすい。行基図には記載されていない、イエスズ会士やスペイン、ポルトガル航海士にとって重要な地名、平戸(Firando)や堺(Sacay)などを追加している。
(参考:日本関係欧文資料の世界、羽田孝之氏ほか)
銅版印刷(手彩色)による当時の最新技術で印刷されている。
地名等は行基図によっているが、岸線はより正確で、鹿児島湾や有明海、佐渡島や五島列島も描かれるなど、行基図よりもよほど正確であった。
ただし東日本の海上に浮かぶ実在しない島々はイグナシオ・モレイラ(1538〜没年不詳)の日本図(原図は失われている)に描かれていたものと同様である。モレイラはポルトガル人の地理学者で、天正18(1590)年、イエズス会巡察師ヴァリニャーノとともに天正遣欧使節の日本帰国に同行して来日。2年間の日本滞在中、薩摩から京都の緯度測定を行い日蝕を観測した。1591年に豊臣秀吉に面会し、京都に集まっていた東日本の大名たちからも情報を得たとされる。
彼の残した日本図がイエズス会士の地図製作者ティシェイラ(1564頃〜1613)に渡り、それをオルテリウスが入手したのではないかと考えられる(モレイラの地図を基にクリストフォロス・ブランクスが印刷した現存する唯一の図(ヴァリニャーノの手稿に差し込むための試し刷り)は北九州の「ゼンリンミュージアム」に収蔵されている)。
上図を見ると関ヶ原の戦いの前で、江戸はなく、京都はMEACO(ミヤコ)と記され、各城下には城(西洋風ではあるが)の記号が描かれる。当時のオランダ語なので、Vを“ワ”と呼んだり(Vacasa=若狭、Ava=阿波)、Hを読まない(Hizu=伊豆)が、旧国地名なのでわかりやすい。行基図には記載されていない、イエスズ会士やスペイン、ポルトガル航海士にとって重要な地名、平戸(Firando)や堺(Sacay)などを追加している。
(参考:日本関係欧文資料の世界、羽田孝之氏ほか)
付録:「世界の舞台・ティセラ日本図」カレンダー