Vol.40 No.2 No.154「色彩と地図」
〔付録解説〕
「GARNIZOENSKAART BATAVIA EN OMSTREKEN.」(ReproductiebedrijfTopografische dienst, BBatavia 1934.)原寸
「GARNIZOENSKAART BATAVIA EN OMSTREKEN.」(ReproductiebedrijfTopografische dienst, BBatavia 1934.)原寸
本図は外邦図の原図となった「JAVA 1:50000分1地図」で、オランダ統治時代の旧オランダ領東インド諸島(インドネシア)バタビア(バタヴィア/ジャカルタ)部である。「JAVA 1:50000分1地図」は1915年から1942年までの測量をもとにジャワ島全域を網羅している(現在、ライデン大学が多くを所蔵)。
当地は古来ジャカルタと称していたが、1602年、オランダ東インド会社の拠点となりバタビアと改称。図ではわかりにくいが、市街北部に要塞バタビア城が築城されている。1942年日本軍が当地を占領した際に、旧名のジャカルタに戻した。
インドネシア外邦図は東北大学附属図書館/理学部地理学教室の"外邦図デジタルアーカイブ"(Web)で見ることができ、図郭や記号などが異なるものの、凡例が日本語のため、本図理解の一助となる。また、本図は土地利用図や植生図としても面白く、特にヤシ類はサゴ椰子、砂糖椰子、ココ椰子、ニッパ椰子などの記号を見ることができる。コーヒー園、チーク林など、日本にはない記号や、国際港由来の仏教寺院、キリスト教会、ムスリム寺院なども見られる。
本図は、オーソドックスな彩色だが、オレンジや緑の調色が秀逸で、地図全体のカラーハーモニーは現在の地図に勝るとも劣らない。
当地は古来ジャカルタと称していたが、1602年、オランダ東インド会社の拠点となりバタビアと改称。図ではわかりにくいが、市街北部に要塞バタビア城が築城されている。1942年日本軍が当地を占領した際に、旧名のジャカルタに戻した。
インドネシア外邦図は東北大学附属図書館/理学部地理学教室の"外邦図デジタルアーカイブ"(Web)で見ることができ、図郭や記号などが異なるものの、凡例が日本語のため、本図理解の一助となる。また、本図は土地利用図や植生図としても面白く、特にヤシ類はサゴ椰子、砂糖椰子、ココ椰子、ニッパ椰子などの記号を見ることができる。コーヒー園、チーク林など、日本にはない記号や、国際港由来の仏教寺院、キリスト教会、ムスリム寺院なども見られる。
本図は、オーソドックスな彩色だが、オレンジや緑の調色が秀逸で、地図全体のカラーハーモニーは現在の地図に勝るとも劣らない。
付録:GARNIZOENSKAART BATAVIA EN OMSTREKEN.(ポスター)