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■ 巻頭随筆
 横浜開港

■ 特集 横浜の地図
 開港時の横浜
 関東大震災直後の横浜
 戦後占領時の横浜
 中華街の今昔
 みなとみらい21
 4回移動した横浜の鉄道玄関口
 海図から見た横浜港

■ 文献紹介
 『探Q!日本のひみつ−
    まちでみつけた日本のきせつ−』
 『風土紀行−地域の特性と地形環境の変化を探る』
 『鉄道の地理学』
 『Discovering JAPAN A New Regional
    Geography』
 『東京懐かし散歩』『地図から消えた東京物語』

■ 資料室
 2008年11月、12月、2009年1月

地図情報 Vol.29 No.1 通巻109号 「横浜の地図」
〔表紙解説〕
横浜明細全図
 1868(慶応4)年の横浜明細全図(表紙参照)を見ると、慶応約書に基づいた横浜の市街地の改造や拡大を見ることができる。図の中央、西波止場の左側の突堤には、湾曲部(「象の鼻」といわれる)が付加されている。「亜役館」の文字がある区画がアメリカ公使館で、向かい側の「御蔵」とあるのが運上所である。その間に中央大通り(現在の日本大通)が造成されつつある。その上方の長方形の大きな区画は公園予定地(現在の横浜公園)。公園予定地の左側は造成途中の太田屋新田東部地区で、1879(明治12)年に外国人に分譲され、新埋立居留地と呼ばれる。右側の太田屋新田西部地区は、大火で焼け出された関内中央部の人々に貸与された代地として宅地化される。太田屋新田西部地区右手の吉田橋から本町一丁目大通りを経てフランス公使館前に向かう大きな道路は、慶応約書に基づいて造成された道路で、現在の馬車道である。このように、開港当時半農半漁の一寒村にすぎなかった横浜を、当時の国際情勢に応じて、幕府が外国人居留地をもつ国際性ある都市に創造していったのである。
*「象の鼻」は、砂州と曲がった突堤の両方に使われている。(石川勇喜、フェリス女学院大学非常勤講師)

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