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地図情報 Vol.27 No.1 通巻101号 「交通路の変遷と地図」
〔表紙解説〕
京都東山
 上:輯製二十万分一図「京都及大阪」明治19年輯製製版 同年8月26日出版
 下:二十万分一地勢図「京都及大阪」平成16年修正 平成17年2月1日発行
 明治政府の鉄道掛出張所が関西にも置かれ、明治7(1874)年5月神戸〜大阪間が仮開業し、港町神戸と商都大阪が鉄道で結ばれた。明治10(1877)年10月鉄道は京都に達し、13年には大津に到達する。往時の京都〜大津間は東山の丘陵を大きく南に迂回し、輯製図のように深草経由であった。大正10(1921)年8月東山トンネルが開通し東海道本線は現行のルートになる。それに伴いそれまで西方を迂回していた奈良鉄道(後、国有化)は京都〜桃山間がこの跡地を利用した。残りの旧東海道線跡地は、名神高速道路の道路敷として利用され昭和38(1963)年7月栗東〜尼崎間の一部として開通している。

〔裏表紙解説〕
宇津ノ谷峠 日本坂 五万分一地形図「静岡」
 上:昭和5年部分修正 昭和7年3月30日発行
 中:昭和27年資料修正 同年4月30日発行
 下:平成7年修正 平成8年4月11日発行
 東海道を西から静岡に向かうには宇津ノ谷峠(179m)を越えねばならず、旧東海道には明治9年有料トンネルが掘られている。旧国道は昭和5年、さらに現在の国道1号線には昭和34年に新隧道が開通し、隧道が三重になっている。東名高速道路は宇津ノ谷峠の南東方の日本坂の下を昭和44年開鑿開通している。東海道本線は東から西に延長され、用宗〜焼津間が日本坂の大崩海岸寄りを明治22(1889)年2月石部隧道として開通。昭和14(1939)年7月東京・下関弾丸列車計画にともない鉄道幹線調査会が設置され、昭和16年8月日本坂隧道他が着工されたが、19年工事は中断された。同年この隧道は改修され、老朽化した石部隧道に代わり東海道本線用に転用されたが、新幹線工事の着工により東海道本線は旧石部隧道経路の一部を利用し新隧道が開鑿され昭和37年移動、新幹線は旧弾丸列車のルートを使い同39(1964)年10月開通した。
(地図情報センター評議員 清水靖夫)

特集○交通の変遷と地図

巻頭随筆
 交通の変化を地図に表現する

特集 交通路の変遷と地図
 サンゴ礁とエスチュアリーのはざまに発達した港市・那覇
 地勢図でみる筑豊の交通路の変遷について
 備讃瀬戸における本州四国間交通路の変遷と地域の変化
 親不知子不知海岸の道路交通の今昔
 白河の関跡付近の交通路変遷
 津軽海峡の交通路の変遷−函館港の果たした役割を中心として

文献紹介
 『山と氷河の図譜−五百澤智也山岳図集』
 『近世日本の地図と測量−村と「廻り検地」−』
 『京都の地名 検証2』
 『地図物語 あの日の浅草』

巡検報告
 小田原巡検に参加して
 横須賀巡検に参加して

資料室 平成18年12月〜19年2月
表紙・裏表紙解説
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